光のパイプオルガン

気象現象としては薄明光線と言うらしい。
天使の梯子や、天使の階段とも呼ばれるらしい。

空から誰かが降りてくるようなこの光に、思わず神がかった想像をしてしまうのは、
古代のひとも、現代のひとも、きっと同じだろうなと思う。

古事記に国生みの伝説が残る淡路島は、イザナギとイザナミが日本列島の中で一番最初に作ったとされる島だ。
もしかして、ふたりはこの光の梯子を下って降りたのだろうか?

Untitled

ともあれ、古代の神々はその島に活断層まで作ったらしい。

そしてこの活断層、前回の活動時期は約2000年ほど前だったらしい。
さて、2000年後、神の怒りに触れたのかどうかはわからないが、地震は起こった。
1995年1月17日。

コロナ禍によって追悼式の開催も参加もままならない2021年。

あのとき生き残った命は、今どんな人生を歩いているだろう。

そして、あたしは。

* * * * *

薄明光線を、宮沢賢治は「光でできたパイプオルガン」と書いた。

*

おまへのバスの三連音が
どんなぐあひに鳴ってゐたかを
おそらくおまへはわかってゐまい
その純朴さ希みに充ちたたのしさは
ほとんどおれを草葉のやうに顫はせた

もしもおまへがそれらの音の特性や
立派な無数の順列を
はっきり知って自由にいつでも使へるならば
おまへは辛くてそしてかゞやく天の仕事もするだらう

泰西著名の楽人たちが
幼齢弦や鍵器をとって
すでに一家をなしたがやうに

おまへはそのころ
この国にある皮革の鼓器と
竹でつくった管
とをとった

けれどもいまごろちゃうどおまへの年ごろで
おまへの素質と力をもってゐるものは
町と村との一万人のなかになら
おそらく五人はあるだらう

それらのひとのどの人もまたどのひとも
五年のあひだにそれを大抵無くすのだ
生活のためにけづられたり
自分でそれをなくすのだ

すべての才や力や材といふものは
ひとにとゞまるものでない
ひとさへひとにとゞまらぬ

云はなかったが、
おれは四月はもう学校に居ないのだ
恐らく暗くけはしいみちをあるくだらう

そのあとでおまへのいまのちからがにぶり
きれいな音の正しい調子とその明るさを失って
ふたたび回復できないならば
おれはおまへをもう見ない

なぜならおれは
すこしぐらゐの仕事ができて
そいつに腰をかけてるやうな
そんな多数をいちばんいやにおもふのだ

もしもおまへが
よくきいてくれ
ひとりのやさしい娘をおもふやうになるそのとき
おまへに無数の影と光の像があらはれる
おまへはそれを音にするのだ

みんなが町で暮したり
一日あそんでゐるときに
おまへはひとりであの石原の草を刈る
そのさびしさでおまへは音をつくるのだ
多くの侮辱や窮乏の
それらを噛んで歌ふのだ

もしも楽器がなかったら
いゝかおまへはおれの弟子なのだ
ちからのかぎり
そらいっぱいの
光でできたパイプオルガンを弾くがいゝ

*

音楽の才能に溢れた教え子の卒業に詠んだ詩だという。
同じ春、宮沢賢治は教師を辞める。

教え子は音楽の道に進めない農家の子だったという。
才能や能力があっても、生活のために削られたり、自分で失くしたりしてしまう現実を、
厳しく教え諫めつつ、それでも情熱を失わないでいてほしいという願いを感じる。
教え子にだけではない、これから始まる自分の農耕生活の厳しさについて決意を込めている詩でもある。
そして、道具や手段を失ってもなお消えない心の叫びこそが芸術になるのだというような切実さと、
生きることそのものが芸術なのだと、教え子を応援し、自分を鼓舞しているかのように詩は終わる。

この詩のタイトルは『告別』だ。

* * * * *

いつかの自分に向けて、書き留めておく。

いつか居た自分に。
いつか会う自分に。

阪神淡路大震災から26年に寄せて。