普段のあたしの頭の中を徒然と。

ネット上でこんな記事を見かけまして。
途中の「東大教授の精神年齢が中学生並みではないか」
みたいな記述がなければ絶賛拡散されてほしい記事ではある。

【朗報】JASRACが訴えられることに。ヤマハ、河合楽器、島村楽器らがタッグを組んで訴訟団体を結成

あたしも著作権料の分配を受けている身なので、
ある意味、事務処理の煩わしさを省いていただけることは大変ありがたい。
ただここのところ、JASRACの独占状態には腑に落ちないことが多すぎて、ですね。

まだ記憶に残る佐村河内氏のゴーストライター騒動とかの場合、
発覚して以降、JASRACに入ってくる楽曲の使用料は、
著作権は新垣氏から譲渡されていたと主張する佐村河内氏に対し、
いつから佐村河内氏に著作権があったのかが不明だとして、
JASRACは佐村河内氏に著作権料を支払わず留保しています。
おそらく現時点でまだ決着しておらず、法廷で争われていると思われますが、
ネットのニュースでは未払い使用料、約700万円を巡って争っているわけです。

支払留保は個人的な感想としてそういうもんだろうな、と思ったりするのですが、
じゃあここでふと疑問になるのは、
「じゃあその700万円、JASRACどうしてるわけ?」というところです。
このあたりは、休眠口座のお金を銀行はどうしてるの?
みたいな素朴な疑問と似てるのかもしれません。

いずれにせよ、徴収しても分配しないことがあるっていうことや、
JASRACは著作権料の徴収をしているだけで、
作家の持つ著作権利を決して守ってくれているわけではない、ということ。
えっと、例えば、
もし盗作されても作家と一緒にJASRACが闘ってくれるわけではないんですよ、
っていう理不尽を、もっと広く知られるべきだと思う。

そのシステムに対してもっと議論され、再構築を繰り返して行くべきだと思うのです。

上記リンク先、JASRACの経営難が背景にある、という記述もあるわけですが、
そうだとするならば、あたしはあたしで、また別の連想をしてしまうのです。
このあたりは、最近読んだ別のコラムとも共通するものがあると思うのです。
日本国民の一人あたりのGDPが、先進国と呼ばれる国々の中でとても低いことについて、です。
http://toyokeizai.net/articles/-/155234

コラムは「サービス業について」となっているわけですが、
これ、日本の企業全体に通じる話なのではないかと思っていたりします。
「別にほんまはやらんでええこと、無駄にやってませんか?」
「これ無駄な慣習じゃないですか?」
とかです。
ITの活用で作業が一部削減されているから、ほんまはやらんでよくなったのに、
律儀に昔ながらの部分を残して、それがサービスでおもてなしやと言うてるような話です。
後世に残すべき「職人技」とかの話はここでは除外するとして。

職種によるのかもしれませんが、
日本のオシゴトは「お仕事ごっこ」みたいなことをしている場面が、時としてあると思うんです。
そのシステムは戦後の日本経済を支えてきたし、
ベビーブームやら団塊の世代の人たちが支えてきてくれた、
バブルの時代を含む流れもあったわけですが、
「あのさ、夏休みの自由研究やないんやから」とツッコミたくなるようなこと、無いですか?
最終的な責任を追求されずに済むから、ある程度、
自由に仕事できたり研究できたり挑戦できたりするし、
それは労働者を守ることでもあるのですが、
成果が上がることと、決してイコールではないです。
もうね、評価体制から変えないといけない企業も多いのだと思うのですが、
評価体制を含め、そういう抜本的なシステムに対してもっと議論され、
再構築を繰り返して行くべき、という意味では、最初のJASRACの話と同じやな、と思うのです。

あ、ただ、二つ目にリンクしたコラムの途中で、
「生産性を上げるためには、機械化に伴って農地を集約するなどの抜本的改革が必要」
との記述がありますが、
土地や植物に関して言えば、集約するのはあたしはちょっと危険かな、と考えてたりします。
まあ集約というのが現実的に難しいのもしかり、だし、
集約というのがどの程度ほんとに集約されるのかわかりませんが、
例えば害虫被害や病気に遭った場合、もし農地が集約してたらそこら一帯全部、全滅してしまいます。
分断されているからこそ、守られていることもある。

いま日本の森や林は、保護されている場所以外では天然のものは意外と多くはなく、
だいたいは植林されて育ってきた場所が多いです。
その植林方法として、例えばスギ林の中に一部ヒノキが混ざっていたりするのですが、
(スギとヒノキの見た目は少し似てます。葉の付き方や垂れ方が違う)
それも何か植物の病気が起こったときに、そこでちゃんと食い止められるように、
という理由でわざと「あいだ」に植林されていることもあるのです。
分断されているからこそ、守られていることもあるっていうのは、そういうことなのですね。

一つ一つ理由があって、ちゃんと守らなければいけないことはある。

ただ、

「守り続ける意義があるもの」を、ちゃんと選べるようになりたい、と思う。

でも、

大人になるって、
大人の事情って、

とっても難しい。